IRIMALL Petit Gallery No.024 (香港) イリモール・プチ・ギャラリー

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One-shot in the world. (No.024) 世界の寸景
・・ 香港 1974年
Hong Kong ホンコン

* Hong Kong in 1974 香港 * 1974 Hong Kong 06-35

2022年は香港返還 25周年です。日中国交正常化 50周年となにかと香港、中国が大きな節目を迎えています。
香港を初めて訪れたのは 1974年春先、2回目の海外出張先が香港で 10日間-2週間ぐらい滞在したと思います。(注、1973.12 給油のための香港着陸はあります)
2022年現在、香港は私にとって、台湾・台北の空港のトランジットルームを除き、今までに訪れた・入国した外国で最も近い国・地域です。
当時は、現在とは異なり英国圏 (英国領・租借地)で英国領といった感じでシンガポールと並ぶ自由な国際都市でした。 香港の "100万ドルの夜景" など魅力的な観光都市としても有名でした。
(1997.7.1 英国から中国へ一括返還) 昨今、残念ながら香港では中国への返還後、ここ数年間 香港人・民衆による全域におよぶ大規模な民主化維持運動・デモがありましたが、 大国中国 (北京) の強大な力で一国二制度はもろくも崩れ中国化が進んでいます。返還後は訪れたことはありませんが、自由な都市の魅力は薄れていると思われます。(歌手テレサ・テン 1953-1995 の曲「香港」が脳裏に浮かびます)
古いネガからの画像で綺麗とはいえませんが、約 48年前の 1974年の香港で私の目に映った風景をご覧下さい。
(現在の風景は、ネット検索して比較ご覧下さい)

1974 Hong Kong 06-09 1974 Hong Kong 06-18 1974 Hong Kong 06-19 1974 Hong Kong 06-20
香港島 Hong Kong island
Central, Wan Chai セントラル,湾仔 (ワンチャイ) 付近だと思います。

1974 Hong Kong 06-21 1974 Hong Kong 06-22 1974 Hong Kong 06-23 1974 Hong Kong 06-24
1974 Hong Kong 06-25 1974 Hong Kong 06-27 1974 Hong Kong 06-28
1974 Hong Kong 06-29 1974 Hong Kong 06-30
Victoria Peak in 1974
1974 Hong Kong 06-31 1974 Hong Kong 06-32 1974 Hong Kong 06-33 1974 Hong Kong 06-34
1974 Hong Kong 06-36 1974 Hong Kong 06-37 1974 Hong Kong 06-38
休日、徒歩でビクトリア・ピークを登り、帰りはケーブルカーに乗って下りました。
4月でもあり洋画「慕情」(1955 映画音楽 Love is a many splendored thing) のイメージがありました。

* 九龍 Kowloon
1974 Hong Kong 07-01 1974 Hong Kong 07-02 1974 Hong Kong 07-03 1974 Hong Kong 07-05
黄色は高貴な色とされており皇帝 (黄帝と同じ音) の衣装、道教の道士の衣装、仏教・法師・僧侶の袈裟になっている。
(五行説「木火土金水」「赤青黄白黒」「東西中央南北」から黄色は中央を意味する)
香港映画でコミカル・ゴースト "キヨンシー"に対峙し呪文とお札によって封印する役・道士で登場します。(一種のエクソシストか)

1974 Hong Kong 07-06 1974 Hong Kong 07-07 1974 Hong Kong 07-08 1974 Hong Kong 07-09

* 新界 New Territory (香港北部、中国・広東省に接している地域)
城壁の村・カムティン Kam Tin in 1974
1974 Hong Kong 07-12 1974 Hong Kong 07-14 1974 Hong Kong 07-15

香港と中国の境界線 (国境の様相でした)
1974 Hong Kong 07-16 1974 Hong Kong 07-19 1974 Hong Kong 07-21
1974 Hong Kong 07-18 1974 Hong Kong 07-20 .. バックはのどかに見える中国・広東省 (カントンショウ)

1974 Hong Kong 07-22 1974 Hong Kong 07-23 1974 Hong Kong 07-24
1974 Hong Kong 07-25 1974 Hong Kong 07-26 1974 Hong Kong 07-27
1974 Hong Kong 07-28 1974 Hong Kong 07-29 1974 Hong Kong 07-30 1974 Hong Kong 07-31
1974 Hong Kong 07-32 1974 Hong Kong 07-33
New Territory to Kowloon 新界から九龍 (カールン・サイド) に戻る

* 香港島 Hong Kong island *
多くの看板、狭い階段と雑踏も香港のイメージです。

1974 Hong Kong 08-01 1974 Hong Kong 08-02 1974 Hong Kong 08-03
1974 Hong Kong 08-04 1974 Hong Kong 08-05 1974 Hong Kong 08-06

1974 Hong Kong 08-08 1974 Hong Kong 08-10
雨上がりの香港の夜

香港は、南側から香港島、九龍半島 (カールンサイド)、新界 (ニュー・テリトリー) と 3つの地区からなっていました。その他、小さな 234の島々。
(現在は、新空港が西側の島々の地区にあり、4つの地区からなっています)
1974年 当時は、九龍に埠頭のような滑走路 1本だけの啓徳 (カイタク) 国際空港があり、香港島との間は海底トンネル (道路) と緑色の船のスター・フェリーでつながれていました。
九龍は混沌とした高層住宅建築が乱立しており、ジェット旅客機の空港への着陸は住宅ビルすれすれで下降するルートもありました。
(2021 東京五輪 (2020) で危険な東京都心上空を通る北ルートができ夕刻などラッシュ時にはジェット旅客機が列をなしており追突するのではないかと危惧しており、いつも古い香港を思い出します。時代に逆行する東京、日本政府は回帰趣味か ? 怪奇 ?)

1974年3月下旬、東京の雪 snow
この時の出張は 1974年3月28日 羽田空港発だったと思います。東京 3.27-3.28 珍しく遅い降雪で出張当日の都心の積雪 5cm がちょっと心配でした。

当初、香港島の顧客 (英国人)のみとの打合せ訪問予定でしたが、香港滞在中、新たな商談受注との連絡を受け、急遽 滞在期間を延長して九龍 (香港人・中国人)に出向くことになりました。営業担当者より先に顧客と面談することになりました。 九龍南端・繁華街のチムシャツイ Tsim Sha Tsui の有名なペニンスラー・ホテル Peninsula Hotel のロビーで時間調整していた時、見知らぬ人から「誰々さんですか」と声掛けられました。(高級ホテルに宿泊しているように見えたのかも、-- !?) このホテルはかの有名な高級車ロールス・ロイス 2台を所有しており、身近で初めて見ました。
(高級車と言えば、香港とは関係ありませんがクウェートのヒルトン・ホテル Hilton Hotel in Kuwait で格好よさで有名な白いランボルギーニ・カウンタック Lamborghini Countach を観ました。(air cargo 空輸扱いでした) 音速ジェット旅客機ならばコンコルド (BA) というところでしょうか。中東バーレン空港で駐機中の小さな機体を何度か見ましたが、.. )
ということで、一度の出張で香港の二面性 (別々の公社の在香港・英国人と香港人・中国人) に接することができました。

新界 New Territory の観光は、東京から商社の課長さんが香港を訪れた機会に商社駐在員から同行のお誘いを受けたものでした。その時、城壁の村・カムティンをリクエストしました。
1974年は、日本国内では米香港合作アクション映画「燃えよドラゴン Enter the Dragon」(主演 ブルース・リー) の 1973.12 日本封切 (当方 シンガポール初海外出張中) で中国武道カンフー、ヌンチャクのブームが起きました。日本武道とは違い、初めて見るあのリズムカルなスピード感が新鮮で衝撃を受けました。
勿論、香港に来たからには本場のカンフー映画を観ようと商社駐在員に日本国内事情を話したずねたら、一緒に観に行きましょうとの即答でした。
二人のりのりでセントラルの映画館に観に行った記憶があります。紛れもなく本場・香港カンフー映画です。字幕 subtitle は、北京語・マンダリンと英語の二か国語、音声は広東語・カントニーズでした。
この頃は、国際的で民主的な香港で将来 民主化運動デモの嵐が吹き荒れるとは夢でも想いませんでした。

(ご参考)
..
1955 洋画「慕情」 / 1973 米香港合作映画「燃えよドラゴン」
1955年アカデミー賞2部門受賞 (音楽賞・主題歌賞・衣装デザイン賞) "Love is a many splendored thing"

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